染、色に染められて想うこと

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舞台『染、色』完走、おめでとうございます!

そして、お疲れ様でした。

 

楽しくて幸せでしかたなかった、この1ヶ月が終わってしまった。


染、色が無事幕を開けるまで、ちゃんと幕が下りるまでの諸々の感情も書き切れないぐらいあるけれど。
今はただ、染、色という舞台が完走できたことへの喜びと終わってしまったことへの喪失感がすごい。
ずっと染、色がある世界で生きたいもん。
中止はつらかったけど、結果論として染、色があった時間も同じように伸びたと思えば、良かったのかも知れない。
もう中止のお知らせなんて二度と受け取りたくないけど。


染、色を通して、自分の所感を残したい。
今はとりあえず、原作もパンフレットも読み返さず、ステージ誌も他の人の考察や所感も一切何も入れて無い状態の私の所感。
他の人の文章や考えに触れて、配信としてみてまた違うことを思うそれは、次に書こうかな。
これは考察ではなく、所感なので。
わからないって書くとこは、これから配信見たりしながら考えていきたい。
あと思い出した順番で書くから、時系列はバラバラ。
気力があれば、順番を整えます。


・コピー 滲むゆくえは知らないかたち

滲む。にじむって読むし、にじむの意味を使うんだとはじめは思った。
滲む・・・液体がしみて広がる。液体が表面にしみ出てくる。
意味を調べたとき、”しみる”という言葉が気になった。
そういえば深馬も、”一度ついたしみは消せない”って言っていたなと。
染みると滲みる。
どちらもしみると読めるので、使い分けを調べた。
染は色がつくことを、滲はしみこむことを意味するらしい。
ただ表面についた色はすぐに落とせるけど、中までしみこんでしまったものは洗濯でも何でも落とせないもんね。
色が残る。
実際腕についていたスプレーはタオルで簡単に落とせたけど、真未には一度も連絡しなかったとか深馬の中に真未という存在はちゃんと残っている。
だから”滲む”ゆくえなんだな。


・染、色の中で生きている人

深馬

深馬は特別とかそんな言葉より、少し絵が上手な普通の男の子って感じがする。
購買にお使いを頼むシーンとか、大学で見るわ、やるわっていう。
でも、私は深馬がまだわからない存在。
深馬という人を文章に出来るほど理解できてない。
周りの人間が彼を理解するのに苦労するっていう杏奈の言葉を思い出す。
このあとに書きたかったことがあるんだけど、PCの充電切れそうでコンセント探してたら吹っ飛んだ。
思い出したら書く。
あとそもそもなんだけど、深馬って名前なんだろうか名字なんだろうか。
真未に名前は?って聞かれて、深馬って答えるからきっと名前なんだろうけど。
でも、滝川先生も北見も原田も。
みんな名字で呼び合ってるのに、深馬だけは名前なんだな。

これは終演後お友達と話したことだけど、深馬を演じたのが正門くんだからこそ深馬って役に説得力があった。
普段から感情にブレが見える人だと、深馬という人が嘘になったと思う。
見るだけでもエネルギーを持ってかれて何も考えられなくなる舞台こなしながら、3時間後には普段通り、普通の感じラジオを回してたりする(そう見せてくれる)、正門くんだから出来た役なんだと思う。
この染、色期間中、何回もan・anの”平熱の美学”という五文字を反芻させた。
これもお友達と話していたこと、話はそれるけど、平熱の美学とたった5文字でこれ以上無いぐらい的確に正門くんのことを言い表したan・anのライターさんの染、色の感想が読みたい。


真未

真未は存在した人物なのか存在していない人物なのか。
真未は深馬の第2の人格だとはっきり言い切ることも出来ないな。
でも深馬が深馬自身のために作った存在なのかな。
自分を慰めるために、自分の中で作り上げた存在。
と考えるのが自分の中で一番しっくりきたので、その体で話を進める。
でも真未の設定細かいよね。ほんと細かい。
だから真未は存在しているんじゃないかという説に行き着くとこもある。
でも、この細かさは深馬が自分じゃないもの、自分とはかけ離れてるものを作るために細かい設定を盛り込んで作り上げたからじゃないかな。
原田曰く深馬の絵は緻密らしいから、深馬が自分の中に自分じゃないものを作るとき緻密に作り上げても違和感はないかなと。



杏奈

もう杏奈というキャラクターがはじめあまりにも苦手な性格すぎて笑
そんな受け答えで逆によく最終まで残ったな?とか、一回入るの許されたからっていってさすがに大学入り浸りすぎない?とか、いろいろ心の中で喧嘩売った。
ごめんね、杏奈。
まぁ、でも杏奈重いよね笑
杏奈に関しては気になったシーンがあるからそこで書く。


北見と原田

深馬の友達の2人。
でも、深馬との友人としての距離感はそれぞれで違うように感じた。
北見は深馬のことを”あいつはそんなんじゃねぇだろ”と自分と差別化していて、深馬も深馬で北見のことをすごいと思っている。
お互いで、自分とは違う存在だという認識があって、一線を画しているように感じる。
原田も原田で深馬のことをすごい人だと言うんだけど、そこに一線は感じないかな。
原田の方が素の友人関係を築いているのかなと。
深馬と原田のやりとりで、北見が杏奈に勝手にLINEした画面を見せてる二人のやりとりとかね。


滝川先生

深馬をわからないといったけど撤回しなきゃ。
滝川先生が一番わからない。
でも滝川先生から出る言葉って刺さる。
自分にすごく刺さる。
どうやって生まれかわった?非凡な誰かのふりをして非凡を気取っていただけだろ?
本物のフリをしてればいつか本物になれるかもしれない。
滝川先生だけじゃなくて、この舞台の中に生きる人はみんな(真未以外)本質的には煮ている所で悩んでいる。
そしてその悩みは私の中にもあって。
こんな風になりたいなっていう理想は自分の中に確実にあって。
小さな頃はそれが現実的じゃなくても、こうなりたいと話すだけで楽しかった。
でも、今は。
こういう暮らしをしたい、こういうお金の稼ぎ方をしたい、こういう世界の中で生きたいと願ってその理想に近づきたいし、自分を近づけたいし、自分のことをその理想の世界に染め上げたい。
でも叶えられることの範囲は限られてるっていうことも理解している。
その中には自分のせいで幅が狭くなっているものもあれば、社会や法や周りの人のせいで狭められているものもある。
息苦しくなったり、耐えられなくなりそうだったり。
滝川先生という人からは話がそれました。


・絵の話

深馬が真未と交わるまで、深馬の服装で言うと黒い服に変わるまで。
深馬の書く絵には色がなかったな。
ビル街から見える朝日の絵(という風に私は捉えた)も、深馬が最初に書き始めたときはモノクロなのに真未がそこに手を加えると一気に色がつく。
黒い服を着るようになった深馬は、最初から色つきの絵を描けた。
真未が深馬の中で色濃いんだな。
その流れで最後にくる、目が表す意味はなんなのだろう。
はじめは深馬が最初に展覧会用に描いたものなのかなとも思ったけど。
白のスプレーで書き足したものが目の中の光とかなのかなと。
でもそれならあの目をみて落ち着く、思い出すんだろうなと言った杏奈の感性を疑ってしまうので、やっぱりまだ目の意味はわからない。(杏奈にけんか腰過ぎ)


・劇中の言葉


”秋に咲く桜”

秋に咲く桜がずっと気になる深馬。
秋に咲く桜を自分のことだと思っているのかな。
私も秋に咲く桜と深馬を重ねた。
じゃあ、深馬にとって秋はいつなんだろう。
首席入学した大学一回生の時とも捉えられる。
けど、真未と壁に絵を描いて人々に注目された、滝川先生が本物と捉えて本物のふりをした ポリダクトリーとしての深馬も、深馬にとって秋なんじゃないかな。
ポリダクトリーとして壁に絵を描いていたのは深馬の幻想や夢かも知れない。
でもこの場合における”咲く”というかたちは、”アーティストとして作品を世に生み出す”ということだと思うから。
深馬は現実と自分の中の世界と。
それぞれの世界で秋を迎えたのかな。
深馬にとって正しい時期(=春)っていつだったんだろうな。
北見と真剣勝負した三回生の展覧会だったのだろうか。
秋に咲いた桜は次の春に咲くことは出来ないけれど、また蕾をつけ花を咲かせることはできるらしい。
深馬がつぎ蕾をつけたとき、どうか深馬にとっての春に花を咲かせられますように。


”大手は一通り”

答えは出ていない。シンプルに疑問。
一回目の展覧会のシーンでは”いろいろだよ”だったのに、二回目になると”いろいろだよ、大手は一通り”と台詞が付け加えられている。
きっと加藤くんのことだから何か意味があるのだろうと考えてもみたけれど、まっっっったく何も思い浮かばない。
だからこそ毎公演引っかかって気になる所。
何かここでこう解釈したってのがあったら誰か教えて欲しい。


”えっ、ごめん”

真未の生い立ち(両親が幼い頃に他界)を聞いた深馬がとっさに発する一言。

ごめんの前に()をあえてつけるなら、(無神経に聞いて)ごめんってところだろうか。
深馬が恵まれた環境(小さいながらも会社を経営する家庭に生まれ、高校から東京で一人暮らしをさせるほどは余裕がある環境)で育ってきたことを如実に表しているやりとり。


”ずるいよ、杏奈ちゃん”

北見と杏奈が公園で話すところ。

何がずるいのかなぁ。
はじめは、杏奈が北見に良いことの例として”彼女ができたとか!”を言わせたかったことに対するずるいだと思った。
でも北見も杏奈も、もっと言うなら深馬も滝川先生も。
染、色の中にいる人はみんなスランプの中にいて、そこを打破したい気持ちはある。
杏奈は就活が上手くいっていない。
北見はアーティストとして生活する中に入りたいと思ってはいても、その道で生きていける見通しはきっと北見自身も立っていない。
彼らにとって深馬も自分たちと似たように上手く絵が描けず苦しんでいた仲間だと思っていたのに、深馬はスランプから抜け出したように見える。
深馬のスランプから抜け出したという状況を羨ましく感じるだろうし、そこから自分も抜け出したいと思うだろう。
でも、方法が全く見えないのよね。
だって深馬が抜け出したように見えるのは、真未という深馬が作り出した存在によるものだから。
だから、杏奈は北見に”スランプを抜け出す方法なんてない”と言ってもらうことで傷のなめ合いをしたかったのかなとも思った。
深馬の絵が壊されたとき、疑われた北見の側にいたのは杏奈でした。
杏奈のことだから北見に対する恋愛的な気持ちはないだろうけど、少なくともこの2人はお互いの傷をケアする関係になったんじゃないかな。


”濡れたティッシュ” ”発想が砂”

かたちになったり、ならなかったり。よくわからない人(深馬)のたとえとして使われた濡れたティッシュ
北見の作品のアイデアが普遍的だというたとえで使われた砂。
もののたとえとしてあまり使われないからこそ、すごく気になった。

濡れたティッシュって使い道がそんなにない。
おんなじ濡れているティッシュならウェットティッシュを使うし、ティッシュは乾いた状態の方が有用性は高い。
すぐモロモロになって逆にゴミを生み出すやっかいなものになる。
でもかたちは変えやすい。
そんな濡れたティッシュをスランプの中にいる深馬に当てはめるそのチョイスにしびれた。
深馬はいろんなかたちになれるし、その力を秘めているけど、濡れている(スランプだから)何も生み出せない。
砂もそう。
ありふれたものを言い表したかったら他にあるのに砂なんだと。
出てきたのは砂漠かな。
砂漠ではみな水を渇望する。そしてごくたまに砂の中に煌めく金がある。
砂漠の中の水は重宝され、金は見つけ出されると高価なものとして扱われる。
北見もアーティストになりたい、入ってみせると言ったこともある。
小さい頃から美術の英才教育を受けてきた人なんて美大には沢山いるだろうし、みんなその中で一握りに入りたいと渇望する。
でも砂漠の中の砂だから。埋もれてしまう砂レベルの発想に落ち着いてしまう。


”普通”

真未にいつから絵を描いているのか問われた深馬が、自分の生い立ちを話したあとの真未の感想。
ここで普通と言われた深馬は、普通か...と呟き、ぼぅとしたあと近づいてきた真未を抱き寄せ、肩に顔を埋め、そしてキスをする。
深馬はきっと自分では特別だと思っていないけど、深馬の周りにいる人は深馬のことを特別だ!とかすごいひとだ!とか普通じゃない存在だと思っている人ばっかりだよね。
北見も原田も杏奈も滝川先生も深馬のお母さんも。
深馬の中で自分は普通だと主張したい気持ちがあった。
だからこそ自分が作り出した真未という存在には自分のことを普通だと認めて欲しかったし、実際普通だと言ってもらえたことに安心したんだと思う。
真未に縋る=自分で自分を慰めるということで、これも一種の深馬の自慰行為なんだと思った。


"まだだめなんだな”

居酒屋で絵を壊したのは深馬自身だと知らされた深馬を見て、北見が原田にこぼした一言。
何がまだだめなんだろう。
このシーンで熱中症で倒れた深馬を思い出した。
熱中症で1週間意識無かったら、もっと重篤な患者として扱われているのでは?という違和感があった。
もしかして、”熱中症で倒れて” 入院したという状況さえも深馬の想像ではないだろうか。
深馬の入院は、熱中症じゃない精神疾患によるものなんじゃないかと考えた。
そして一見、精神状態が落ち着いたように見えた(居酒屋のシーンでは、今までしていなかった美大予備校の講師のバイトしてたりする)深馬が、まだだめなんだなというかたちが一番しっくりきた。




・行動が意味するもの

染まった瞬間

油絵の絵の具が乾いてない部分が腕についたことで染まったのか。
絵の具が腕につき作品が壊れたことで染まったのか。
ここでコピーの滲むを思い出した。
色がついたその染みはすぐ落ちるけど、滲みこんだ滲みは落としきることは出来ない。
作品が壊れたことが深馬の中に滲みを作った。


杏奈の部屋で描いた絵

どんな絵だったんだろう。
杏奈がびっくりしたような顔をしていたけど。
深馬の作風が変わったことを杏奈は感じ取れるほど、深馬の絵を見てきているだろうか。
杏奈にもわかるほど、はっきりと明確に違ったんだろうか。
滝川先生もずいぶん作風が変わったなと言っていたし。
深馬の本来の絵は緻密だったみたいだからいっそのこと、塗りつぶしただけとか豪快な作品であったのかもしれない。


部屋の壁にスプレーを振る

まずそもそも、深馬が真未の部屋だと思っていたのはどこなんだろう。
深馬の部屋かな。
深馬は退院してから杏奈の部屋に入り浸ったみたいだし、自分の家に帰っていない。
それに、真未は深馬が深馬のために作った存在だから真未の部屋は深馬の部屋なんだと思う。
その部屋についたシミ。
上の階の人が何かこぼしたことによってついたシミは、他人からの介入を意味しているんだと思っていて。
親や滝川先生や杏奈や周りにいる身近な存在、社会とか就活とか深馬じゃないものを。
そのシミを真未と一緒に塗りつぶすことで、自分たちの色にすることで、真未と二人きりのあの空間の中を他者の介入がない自由な空間にした。


スプレーの色の話

真未と一緒に壁のシミを塗りつぶすのに使った色も、真未が深馬の首に吹きかけた色も、深馬が真未にいたずらして隠した色も。
全部ピンクだなと。
桜かなぁ。
自身を秋に咲いたと捉えている深馬が、真未を正しく咲けた桜として作り上げてもおかしくはないな。


杏奈の着信音

既視感はPretenderだろう。

君の運命のヒトは僕じゃない
辛いけど否めない でも離れがたいのさ

杏奈は深馬を変えることは出来ない。
杏奈では深馬を春には導けない。
杏奈の気持ちを代弁するような歌ですごく切なくなった。
でも、深馬が最後にすがったのは杏奈だったな。


北見への暴言

深馬は北見に暴言を吐く直前まで、北見を否定し友達付き合いをやめるよう勧めた真未を否定した。
なのに、深馬は北見に対してまるで真未に言われたことをそっくり返し殴り合いに発展した。
深馬の中に潜在的に、自身の不調を北見との悪行のせいにしたい気持ちがあったのだろう。
真未が発する鋭い言葉の数々は、深馬の中のどこかには存在する気持ちで在り言葉なんだろう。
そう考えると、深馬が惹かれるという詩は深馬の中でどこかでただ耳障りの良い言葉を並べただけと思いながら、絵を描いているのだろうか。
自身の絵を完成させられなくても言い訳が立つように、難しい詩に惹かれたとして詩をモチーフに絵を描いたりしているのだろうか。
難しい。


絵を壊した人

深馬だろう。
絵を完成させなければならない(=死ぬ)という現実から逃げる、一番良い方法は作品を壊すこと。
死ぬことを恐れ、逃げるために絵を壊したけど、その自分が壊したという現実からも逃げたくなり、深馬の中の世界では真未が壊したことにしたのだろう。



・染、色という舞台


染、色をはじめて観劇したとき、話の流れだのこの話がどういう話なのかだのを考える余裕なんて一ミリもなかった。
ただただ、染、色の世界観に染められ余韻しか残ってなくて何も他の話や音楽や雑音を入れたくない、それだけだった。
そして、その世界観の真ん中にいる正門くんのことがただすごくて、正門くんが誇らしくて。
それだけだった。
 


染、色の世界を知るまではただ、正門くんの初主演舞台があったという証拠が自分のメールフォルダの中にある当選メールだけなのが悔しくて。
初主演舞台は染、色がいいと言っていたし、染、色の知らせを待っている自分がいた。
でも。
染、色の世界に染められた今。
改めて染、色が正門くんの初主演舞台で良かった、染、色が良かった。と大声で言わせて欲しい。


正門くんの舞台だったからではなく、シンプルに染、色の世界が大好きだから、染、色のことをもっと自分の中に落とし込みたいからここまで沢山文字を書いてきたし、考えてきた。
そこまでしたいと思えた作品に出会えて、それが大好きな人の主演舞台だなんてこんな幸せなことはない。

考えれば考えるほどわからないことは出てくるし、こうだ!と言いきれるものも完璧には浮かばなかった。
私はまだ、染、色という世界で死にきれていない。
悔しい。
けど、わからなくてもわからないことが嬉しい気持ちもある。
これを書き上げたら読み返すと決めているパンフレットや、SNSに転がっているいろんな人の考察や感想を読んでまだまだ染、色という世界のことを考えたい。


染、色期間、自担の舞台期間中だからとかそんなものを遙かに凌駕するレベルで楽しかったし、幸せだった。
本当に楽しかった。
この先、染、色を観て正門くんをキャスティングしましたなんてお仕事があったら、きっと私は一番嬉しい。